
あの人の弱さが、かえって私に
生きていこうという希望を与える。
気弱い内省の窮極からでなければ、
真に崇厳な光明は発しえないと
わたしは頑固に信じている。
太宰治 服装に就いて
わたしたちはやはり弱いより、強い方がいいと思っている。パウロも「わたしは弱いときにこそ強い」という。やっぱり強い方がいいのではないかということになってしまう。この世界では、強くなること、大きくなること、立派になることは教わることはできても、弱くなること、小さくなること、駄目な人間になることは教えてくれない。それは、やはり、そうしたものがよくないと思っているからではないか。キリスト教でも、所詮そうなってしまっている。しかし、イエスは「貧しい人は幸い」といわれた。弱いから気づけることもあるし、強ければわからなくても、弱いからわかることがたくさんある。弱いことの価値というものを再発見していってはどうだろうか。
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