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​司教

​2022年 年頭書簡分かち合い
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津教会 矢野陽子

クヨクヨと内向的な私が、80才にして悟る。もう「過去」を憂う時はない。前進あるのみ。

今新たに死を迎える「終活」の人生のスタート。でも違う。

人生最後の ゛「死」でなく「主」に向かう人生゛と…。

―私は命のパン、生ける水、真理、命、道― 私は今歩き始める。死でなく、「主」に向かう人生を! 光の内に。

  津 教会 矢野陽子


  八十才を目前に、私の信仰の集大成を…。

「授かった四人の娘と、四人の結婚、孫七人、夫 元気」

  ……身に余る恵みに自問自答。

  よき信者ではなかった私が、これらを受ける何の資格があったろうか、

  何一つない。唯思い当たる…。

  ―神の求めるのは、頭脳明晰や、裕福な人でもなく、

  神に誠心誠尽くす人―とある。

  大学卒業後、就職もせずに、ひたすら=人生の真理=を信仰に求め、

  聖書百週間、教会の「学び」を通して長年求め続けて来た私の信仰の       ひたむきさに神が応えて下さったと思える。今、声を大にすべきと…

  ―あなたの信仰があなたを救った(マタイ9 : 22)―と…。

津 教会 矢野陽子

読んだ箇所 : 11.キリスト者のシンプルライフ

昨年私は二つの事柄がキッカケで79才にして残された人生の生きる道を明確にした。

  我が生けるは 主にこそよれ

  富も知恵も 力も位も 又 主のため(讃美歌)

ボランティアでなく、=書く事= で信仰の喜びを伝える事と、書くのも名声でなく

私の能力、教会での学びと全て主のためと、又私は主に仕える、はしためでいい❢

九条教会 後藤光男

読んだ箇所 : 全文

このコロナ禍の中で、人生の終活が安心して送れるように、希望者の方々に終油の秘蹟を受けられるようにお願い申し上げます。

キリスト様の御復活後の身体、食べられて、見て、触れて、物体を通過することができ、会話することができ、どこにでも遍在することができる。このようなところに私は生まれかわりたい。

永遠に夢の生まれるところへ、いざなわれて行けますように。

高野教会 匿名希望

読んだ箇所 : 全文

昨年は大病を患い、最愛の人が帰天し、まさに終活を目の当たりにした

一年でした。

なんとか心を整えられているのは、信仰を持っていたからです。

主が人生の同伴者としていつもそばにおられることを心の支えに

今はただ、前向きに終活を始めようとする時を待とうと思います。

丹波教会 小さき者 50代 女性

読んだ箇所:  8.愛がなければ、わたしは無に等しい

        9. 私のことを思い出してください

                  10.わたしの若さに喜びを与える神

                  11.キリスト者のシンプルライフ

「『終活』でこそ、〈愛 のリスト〉を日々思い起こし、実践しなければなりません」

「目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません」「『外なる人』は衰えていくとしても、『内なる人』は日々新たにされていきます」「神の国と神の義を求めて」

心に響いた言葉です。今、生かされている喜びに感謝し、この響いた言葉を胸に、「生・活」し、実践が伴うよう同伴者のキリスト様に祈りながら、助けて頂き

「生・活」します。

丹波教会 もったいないばあさん 70代 女性

読んだ箇所:4.信仰の完成者であるキリストを見つめて

                  5.神の沈黙の意味を問う

神と被造物に生かされた事に気づかされ感謝する今。

終活の場では神の沈黙を黙想する時となります。

神の子としてのみむねを知り、与えられた役割にひたむきに歩みたいと思います。

人生の同伴者であるキリストへの信頼のうちに心静かに憩う幼子のような心でみことばを受けとめてゆきたいものです。

神は沈黙のなかでこそ語られるのでしょう。

     丹波教会 ハイジのおばあさん 80歳手前 女性

       読んだ箇所: 全文

 「キリスト者の終活を始めよう」分かち合いのお誘いありがとうございます。

  私が受洗した時、ご絵をいただきました。

  表には 「死ぬまで、十字架上に死ぬまで、自分を卑しくして従われた」

  (フィリピ2・8)

  裏には 「小さきは小さく咲かん 小さくとも小さきかぎり神をたたえて」

  (不詳)

  この言葉によって内省の始まり!!

  沈黙・待つ事に支えられての人生です。今では鄙びたご絵

  これから先も終活の道案内をしていただきたいものです。

衣笠教会・伊藤眞一郞
読んだ箇所 10. わたしの若さに喜びを与える神


「現代社会において、『弱いときにこそ強い』という聖書のことばをあかしできる」とありました。
高齢になると体力がなくなりますが、教会が生き生きとした共同体であり続けるように、「恵みは弱さの中でこそ発揮される」という言葉に励まされつつ、信徒として「あかしできる」ことを考えるよう促されていると感じました。

高野教会 テレジアゆうこ 50代 女性

全文を読んで

   終活に 向かう心に 寄り添うは 

   聖書にあふれる  珠玉のことば

御所教会 M.S
読んだ箇所 9.私の事を思い出して下さい。

終活とは、自分の身の周りの物質的な事柄を整理して行く事という段階でしか感じてませんでしたが、自分が生まれて来てから現在までの自分の深層部にある、

うやむやにして来た人を許す事、許しを願う事を思い起こし一つずつ整理していく大事な仕事もあるのだなと実感しました。

この先どの位、寿命があるかわかりませんが過去の整理をしつつ心を開いて行こうと思っています。

 高野教会 マルティナ 50代 女性

  読んだ箇所 5.神の沈黙の意味を問う

「終活」は、マザーテレサの2度の聖体拝領が書かれた2021年頭書簡と違って、私の中で違和感もありました。神と私の1対1が強調される中で、今、生活危機に陥る若者や

シングルマザーのことを捨て置いて、ただ私の救いを考えるような違和感でした。

「周りに迷惑をかけたくない」という終活は閉じたものであって、「互いに『迷惑』をかけ合いながらなんとか進む羊の群れ」のような終活を考えたいようにも感じました。

福知山教会 sada 70代 女性

読んだ箇所10.私の若さに喜びを与える神 

「年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れ果てて倒れる。しかし、主を待ち望む者は新たなる力を得、鷲のように翼を張って上ることができる。

走っても疲れることなく、老いても弱ることはない。」(イザヤ) 

これが私の若さの秘訣。

十字架の形をとった恵みの中でも、自分と人の弱さを充分に味わえる新たな力を頂き、年代に応じて神様から贈られてきた人生に向き合い、今、老年期を迎えて一つ一つ与えられるものを淡々と受け入れる生活。

イエス様に支えられ、日々の祈りの中で捧げる方がいてくださる喜びと幸せに

感謝!

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