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司教年頭書簡 

2025年 司教年頭書簡

「すべての人と希望の巡礼者となろう」​​

■はじめに

 「希望」をテーマにした2025年の聖年が幕を開けました。この聖年は、教会が世界に希望をあかしする重要な時です。混迷する現代世界で人々が希望を失いつつある状況に対し、教皇フランシスコは「希望はわたしたちを欺くことがありません」(ローマ 5・5)とパウロの言葉を引用して、キリスト者が自らの信仰と希望を確認するとともに、周囲の人々に希望をあかしする巡礼者になろうと呼びかけています。

わたしは昨年の年頭書簡でシノドスの教会の姿を求め、イエスの〈善いサマリア人のたとえ〉(ルカ10・25-37)を手掛かりにした〈道〉と〈宿〉に注目した宣教の原点を探りました。シノドス的教会は、世界に対して閉じこもるのではなく、世界と《ともに歩む》ために、現実に目を向け、今を生きる人々との出会いと対話の中で、その姿が見えてくると思います。

 今年の年頭書簡では、教皇フランシスコの聖年の呼びかけを受け、世界や日本の〈道〉と〈宿〉の現状を踏まえて、わたしたちは、どこで、だれと希望を分かち合うべきかについて考えてみました。紙面の都合で限られたテーマしか扱えませんが、京都教区の皆さんも「希望の巡礼者」になるためのヒントを得て、「救いの門」であるイエス・キリストとともに巡礼を続けられることを願っています。

1. キリストは希望の錨(いかり)  多くの宗教でも、希望は信仰者にとって重要な要素であり、困難な時にも前向きな気持ちを保ち、未来への信頼を支えるものですが、キリスト教における希望は、主イエス・キリストの受難と復活によってもたらされた永遠のいのちを約束する神への信頼を意味します。わたしたちは、救いの歴史の完成に向かって、この地上で正義と平和が実現する神の国の到来を待ち望みます。このような希望があるからこそ、わたしたちは現世の苦難を乗り越えることができます。キリスト教の希望は、未来への確信と現在の生活の支えの両方を提供します。2025年の聖年で教皇フランシスコは、キリストを「魂の錨」(ヘブライ6・19参照)として提示されます。キリストは人生の嵐の中でも、わたしたちの船を安定させる錨のように揺るがない希望を与えてくれます。  また希望は、信仰や愛と並ぶ対神徳(神との関係における徳)の一つです(Ⅰコリント13・13、Ⅰテサロニケ1・3参照)。トマス・アクィナスもこの対神徳について、「信仰が神との関係を始めさせ、希望がその関係を続けさせ、愛がそれを完成させる」と洞察しています(『神学大全』参照)。この順序で、信仰から希望が生まれ、希望から愛が生まれるのです。今年の聖年には、希望から生まれる愛の行動によって、わたしたちの周りの世界に希望の光を広げましょう。

2. 戦後80年、核のない世界をめざして  今年は戦後80年を迎え、核兵器の廃絶と核のない平和な世界の実現を願う特別の時です。教皇フランシスコは2019年の訪日の際、長崎では核兵器のない世界を求め、広島では核兵器の使用と保有は倫理に反すると述べ、核兵器の所有が平和の維持に逆行し、軍拡競争は資源の無駄遣いだと批判しました。日本の司教団は、核兵器禁止条約を支持しています。核兵器使用による破壊と苦しみを経験した日本は、過去の過ちから謙虚に学び、それを繰り返さないよう努めなければなりません。わたしたちも聖年の特別の恵みを受けて、世界中の戦争や紛争を終わらせて、核兵器のない世界を目指して、世界平和と人間の尊厳を守る決意を新たにしましょう。

3. ウクライナからの避難民の支援  2022年のロシアによるウクライナ侵攻以降、日本は2,718人(2023年12月時点)のウクライナ避難民を受け入れており、2024年10月時点での在留者数は1,984人です(出入国管理庁)。京都教区内には、京都府に62人、奈良県に13人、滋賀県に20人、三重県に1人の避難民の方がおられます。政府は生活支援や日本語学習支援を行っていますが、戦争の長期化で多くの若者は帰国か定住の選択を迫られ、進学や就職などの問題に直面しています。  わたしたちはウクライナでの戦争の早期終結を願い、ウクライナ国民が国を再建するために希望を持てるよう、連帯しなければなりません。多くの自治体は避難民との交流を深めるために様々な支援を行っています。わたしたちも募金活動や地域社会による支援に積極的に参加し、ウクライナの家族や留学生を引き続きサポートしましょう。

4. ガザ地区の住民への支援  パレスチナ・ガザ地区での長引く紛争が周辺諸国に拡大する中、住民の半数が死か飢餓に直面しており、緊急の国際人道支援が求められています。カリタスジャパン、日本ユニセフ協会、日本赤十字社、UNRWA(国際連合パレスチナ難民救済事業機関、United Nations Relief and Works Agency for Palestine Refugees in the Near East)などは、医療ケアや安全な水の供給、心のケア、こどもたちへの学習教材の提供を行っています。パレスチナとイスラエル両国の長年にわたる緊張を考えると、和解と平和的な共存を築くには、長期的な対話と交渉が求められます。この聖年に、両国の和解と平和を目指す道に希望の光が灯るよう祈りましょう。

5. 能登半島地震の被災者とともに  2024年元旦の能登半島地震から1年が経過しました。その間、9月には豪雨災害に見舞われました。名古屋教区サポートセンターは、地震発生直後から現地で支援活動を行っています。被災地ではインフラの復旧や仮設住宅への移住が進んでいますが、被災者の生活再建や生業支援には、引き続きわたしたちの支援が必要です。教皇フランシスコは「誰も一人では復興できません」とよく言われます。災害で多くのものを失い、苦しみを経験すると、神の愛といつくしみが見えなくなることがあります。日本は近年、地震や記録的な大雨による被害が各地で頻発しています。神は苦しむ人を決して見捨てないという希望を伝えるために、すべての人の苦しみを担われたキリストがいつもともにいてくださることを、祈りと行動によってあかししましょう。

6. 在留カードを持たないこどもたちのために  日本カトリック司教団は 2023年、親の在留資格がなく、強制送還の危機にある外国ルーツのこどもたちを支援するために、人道上の理由から国に家族の在留特別許可を求めるキャンペーンを展開しました。このようなこどもたちは、日本で生まれ育ったにもかかわらず在留カードを持たないために、学校に通う権利はありますが、健康保険証を持てず、アルバイトもできないなど、生活条件が制限されています。政府は2024年の在留特別許可に関する対応を一部修正し、外国ルーツのこどもたちへの在留特別許可の発給が始まったと報告されています。さまざまな事情で不平等に苦しみ、基本的な権利や自由を得られない人々に目を向け、支援することも聖年の目的です。

7. 冤罪(えんざい)を受けた人々の支援  死刑制度を有する日本では、冤罪はきわめて深刻な問題です。死刑が生命を奪うものである以上、無実の人間を処刑することがあるからです。教皇フランシスコは2018年、『カトリック教会のカテキズム』の死刑に関する項目を改訂し、人間の尊厳と不可侵性に対する攻撃として、明確に死刑に反対する内容に変更しました。日本ではこれまでに5件の死刑判決が再審で無罪となり、死刑囚が釈放されています。死刑囚の再審請求件数については、明確な情報はありませんが、DNA鑑定によって18件の死刑判決が冤罪であることがわかっています。関係者の失った時間や精神的苦痛を完全に補償することはできませんが、今こそ、冤罪を防ぐために尋問法の改善や自白強要の防止を図る法律の見直しと、冤罪が明らかになった際の再審制度の改善が必要です。わたしたちはカトリックの立場から、死刑廃止と冤罪防止の法改正を求めつつ、再審請求者たちとともに、正義の希望を追い求めましょう。

8. 社会のバリアの解消  障がい者の方々が自立し充実した生活を送るために、社会とつながることが大切だと思います。2016年に施行された「障がい者差別解消法」(*翻訳のために、Act for Eliminating Discrimination against Persons with Disabilities)は、身体・知的・精神的障がいを理由とした差別をなくすことを推進し、全ての国民が障がいの有無に関係なく、互いの人格と個性を尊重して共生する社会の実現を目指しています。そのために、障がい者に合理的な配慮をすることを義務付けています。また近年、ダイバーシティ(多様性)&インクルージョン(包摂性)を指す〈D&I〉と呼ばれる、多様なバックグラウンドや考え方を持つ人々を尊重し、すべての人が平等に機会を得ることができるようにする考え方と実践が広まっています。具体的には、性別、年齢、国籍、民族、宗教、障がいの有無など、個人のさまざまな属性を価値あるものとして受け入れ、それぞれの違いが尊重される環境を作ることを目指します。差別や偏見や誤解を減らし、社会のバリアを解消するためには、物理的な整備だけでなく、わたしたちの心と意識のバリアフリーを推進していきましょう。

9. 人生を彩る高齢者との巡礼  教皇フランシスコは、常に高齢者に特別な配慮を示しておられます。わたしたちは、コロナ禍で教会に来られなかった人や、今も見舞いを受けることができない高齢者とともに、希望の巡礼を行います。神の目には、すべての人の人生は貴重です。高齢者の方々は自分の人生に誇りを持ち続けましょう。寿命や能力の衰えに不安や恐れを感じるかもしれませんが、重要なのは人生において積み上げた誠実な努力と無数の愛の奉仕です。一方、高齢者が持つ知恵と経験は家族や社会にとって貴重な財産であり、高齢者に敬意を払い支える文化を育むことはすべての世代にとって重要な責任です。また、日本で暮らす外国人の高齢化も進んでいます。介護や医療の分野で、言語や文化の壁を乗り越えるためにわたしたちの支援が必要です。教会共同体の力を活かしたイベントや集会を通じて、特に孤独を感じている方々と神の愛と希望を分かち合いましょう。

10. 高齢者介護従事者の理解と支援  身体機能や認知機能が低下した高齢者の介護は大変です。核家族化や共働き世帯の増加で家族のサポートが難しく、介護難民(適切な介護が受けらない)、老老介護(高齢者同士の介護)、認認介護(両者が認知症)、高齢者虐待、孤独死といった状況も稀ではありません。介護する人の愛情と努力には価値がありますが、介護は一人で背負うものではありません。教皇フランシスコは、介護従事者は神の手と声を感じさせ、人間の尊厳を最優先にしていると述べています。介護者の精神的な負担を軽減するために、家族や地域コミュニティが協力して支援し、介護に希望をもたらしましょう。

11. 不登校生徒への支援  京都教区には舞鶴市に「聖母の小さな学校」という不登校の生徒たちを支援するフリースクールがあり、わたしはこの学校の顧問をしています。この学校の特徴は、不登校の生徒一人ひとりに対応した個別支援を行い、生徒が自分らしく過ごせる環境を提供しながら、社会的な自立を目指す点です。また、原籍校との連携により、学習評価を適切に反映させています。わたしはこれまで、不登校の経験を活かして成長するこどもたちを幾人も見てきました。彼らは自己と向き合い、共感力やコミュニケーション能力を高めることで、困難を乗り越える力を身につけていきます。生徒の保護者も、こどもの意見や感情を尊重し、親子で対話を深めていきます。不登校を成長の機会と捉え、こどもたちをあたたかく見守りながら辛抱強く支える人々を応援し、希望の光を届けましょう。

12. ヤングケアラーのこどもたちに愛を  核家族化が進む中で、祖父母や他の大人から支援を受けるのが難しく、病気や障がいのある家族の介護や日常の世話を過剰に担うこどもがいます。このような境遇のこどもは、家族以外の人に知られたくない、迷惑をかけてしまうのが嫌だなどの理由で他の人に相談せず、一人で悩みを抱え込み、やむを得ずヤングケアラーになってしまうのです。ヤングケアラーが求めていることは、孤立やストレスの悩みといった自分の気持ちを話せる相手や、学校や社会での支援です。家族を愛し、自分の役割に誇りを持つこどもたちにも、自分らしく生きる権利があります。どの家族にも困難や試練はありますが、周囲からのサポートと愛で、ヤングケアラーが生きる希望を見つけることを願っています。

13. 家族崩壊のこどもを守る  家庭内での対立や虐待、育児放棄が起きることで、家族の基本的な役割を果たせなくなっている家のこどもたちを守る必要があります。「こどもシェルター」や「こども食堂」では、家庭の悩み相談にも対応しています。行政やNPOは、電話や窓口で専門家のアドバイスと支援を行っています。教皇フランシスコは、特に戦争や貧困によって影響を受けるこどもたちの支援を強く訴えています。世界中のこどもたちが、安全で愛に包まれた環境で成長し、未来を担う存在として守られることは、人類にとって最も重要な責務です。

14. 格差社会と若者の貧困  日本でも格差社会が広がる中、若者たちは、社会構造によって富裕層と非富裕層に分かれていく現実を見て、個人の努力で豊かになれるという考え方に否定的です。貧困には、主に発展途上国に見られるような絶対的貧困に対して、日本などで見受けられる相対的貧困があります。日本は約6人に1人のこどもが相対的貧困状態にあります。こども食堂の支援者によると、普通の生活が送れないこどもたちの中には、最初「なんで、わたしだけ」と問いかけますが、やがて「どうせ、わたしなんて」と諦めるようになるこどももいるそうです。貧困の連鎖を断つには、社会全体が弱者支援を優先し、格差の影響を受けるこどもや若者に希望を与える対策が不可欠です。わたしたちの身近にいる若者にできることがないか、探してみましょう。

15. 依存症者の支援  教皇フランシスコは、アルコール、ギャンブル、ポルノ、インターネット依存などに苦しむ人々に深い共感を示し、家族や支援者にもメッセージを送っています。日本カトリック依存症者のための会(JCCA)は、教会のネットワークを活用し、地域社会とも連携したダルク(DARC)などの回復施設の支援を継続しています。また、多くの教会でAA(アルコホーリクス・アノニマス、アルコール依存症からの回復を目指す自助グループ。匿名性やプライバシー厳守)の集会のために部屋を提供しています。依存症は意志の問題ではなく、治療とカウンセリングが必要な病気です。回復は一人ではなく、仲間や家族とともに進む道です。回復と社会復帰への希望を祈りましょう。

16. 総合的エコロジーへの招き  教皇フランシスコは『ラウダート・シ』において、アシジの聖フランシスコを手本とする『総合的(インテグラル)エコロジー』という表現を使います。これは、人間のすべての側面を排除せず、自然とのかかわりや、人と人、人と神との関係も含む総合的エコロジーです。キリスト者はエコロジカルな回心から環境問題に取り組み、生活のあらゆる活動を見直し、新しいライフスタイルを模索します。日本カトリック司教団は2024年、総合的エコロジーについての理解を深め、実践へと招くために、『見よ、それはきわめてよかった』を発表しました。地球という「ともに暮らす家」を観察し、創造の豊かさや環境問題の多角性を学びます。聖年の巡礼は、地球環境を守る巡礼でもあります。

17. 多国籍信徒で築く次世代の教会  すでに京都教区の多くの小教区では、外国籍信徒とともに、さまざまな言語や文化の違いを超えて、すべての信徒が小教区共同体に所属し、ともに責任を担い合って運営するシノドス的教会が生まれています。移住者は、経済的な安定や良好な生活環境を得て豊かで充実した人生を送るだけでなく、他国に住んでも、それぞれのルーツや宗教的文化を守り、次世代に引き継ぐことも望んでいます。京都教区においては、フィリピン、ベトナム、インドネシア、韓国、中国などのアジア諸国や、ブラジル、ペルーといったラテンアメリカから来た信徒は小教区を多様化し、活性化させ、シノドス的教会の架け橋となっています。各国の信徒が教会活動に積極的に参加し、外国籍の信徒からもリーダーを育成することで、多様なリーダーシップが発揮される共同体へと発展させていくことを目指しましょう。

18. 希望の星、聖マリア  カトリック教会は今、シノドスの精神に基づいて、あらゆる人々に開かれた存在であることを目指しています。京都教区も、AI(人工知能) 時代においてこそ真実を語り、正義と平和、兄弟愛、平等と寛容の精神を促すことで、希望という形で神の愛を伝えることができます。わたしの司教紋章にある京都教区の船は、A(アルファ)でありΩ(オメガ)である主の十字架の神秘のうちに、希望の星である聖母マリアに導かれ、父なる神に向かって、世の荒波を渡っていきます。京都教区の将来を考えるには、現状の理解と希望が必要です。困難な旅でも、感謝と信頼のもと、ひとつの心で歩むとき、主がともにいて励ましてくださいます。京都教区の皆さん、聖年の恵みを受けて、わたしたちの宣教の使命に確信を持ち、すべての人と希望の巡礼者になりましょう。

 2025年1月1日 元旦 神の母聖マリア

カトリック京都司教  ✙パウロ大塚喜直

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