top of page

事実



聞いてわかった

そんなものは

信ではなかった

聞いている 身の事実が

ありがたいのだ





浅田正作 骨道を行く(法蔵館)


わたしたちは、聖書や教義をいろいろ聞いて理解して、わかることが自分の信仰を深めるのだと思っています。しかし、わかったということは、真実をわたしの身に引き寄せて、自分勝手に納得しただけに過ぎません。わたしたちは、どこまでいっても自分の都合で、物事を見、捉えることしかできません。その我が身の愚かさを知らされるとき、聞かせていただいていることそのことが大事なのだということに気づかされるのです。わたしがわかったというようなことは、何事でもないのです。

閲覧数:94回0件のコメント

最新記事

すべて表示

宗教

苦しむ

bottom of page