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聞いてわかった

そんなものは

信ではなかった

聞いている 身の事実が

ありがたいのだ





浅田正作 骨道を行く(法蔵館)


わたしたちは、聖書や教義をいろいろ聞いて理解して、わかることが自分の信仰を深めるのだと思っています。しかし、わかったということは、真実をわたしの身に引き寄せて、自分勝手に納得しただけに過ぎません。わたしたちは、どこまでいっても自分の都合で、物事を見、捉えることしかできません。その我が身の愚かさを知らされるとき、聞かせていただいていることそのことが大事なのだということに気づかされるのです。わたしがわかったというようなことは、何事でもないのです。

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